ただの雑談
いつからか、「アニメ映画なら何でも観る」という病気にかかってしまった。一部の過剰なファン向けの映画(ラブライブ!など)を除けば、基本的には映画館に足を運んで、この業界を応援している。宮崎駿監督は毎年「業界は終わりだ」と嘆いているが、ここ数年見てきた感じでは、新世代の優秀な作品や監督は少なくない。アニメ業界全体としては衰退しているのかもしれないが、アニメ映画という分野に限って言えば、徐々に盛り返してきているように思う。
最初に言っておくが、俺はただのオタクであり、プロの評論家でもないし、何かを調べたりもしていない。あくまで個人的な感想を共有するだけなので、あまり真剣に受け止めないでほしい。
「秒速5センチメートル」、「言の葉の庭」、「君の名は。」
新海誠監督に対しては、複雑な思いを抱いている。彼はかつて、私に深い感動を与えてくれたこともあれば、大きな失望感を与えたこともある。「秒速5センチメートル」は、私が初めて観たアニメ映画であり、今でも最も完璧なアニメ映画だと思っている。奇想天外なストーリー展開も、心を揺さぶるセリフも、感動的な音楽もない。作画や美術も、今の水準から見れば飛び抜けて優れているわけではない。しかし、この作品の中で、新海誠監督は「映像で物語を語る」という卓越した能力を遺憾なく発揮している。
最も印象的なのは、第一話で、主人公が電車に乗ってヒロインに会いに行こうとするが、大雪の影響で深夜まで遅れてしまうシーンだ。このシーンでは、車内アナウンス以外ほとんどセリフがないにもかかわらず、監督は駅の時計、徐々に空席が目立つ車内、夕暮れ時から深夜の大雪の車窓、車内の路線図、主人公が動揺してドアを閉め忘れる様子など、巧みな演出で、期待、緊張、焦り、不安、恐怖といった複雑な感情を表現している。観ている側も、主人公と一緒に一喜一憂してしまうような、そんな気持ちにさせられる。それまでアニメのスタッフを覚える習慣はなかったのだが、新海誠監督は私が初めて覚えた名前だった。
「君の名は。」が公開された時、私はとても興奮していた。というのも、前作の「言の葉の庭」はわずか45分という短編ながら、恐ろしく緻密な美術と、新海監督らしい繊細な感情表現が印象的だったからだ。新海監督は「みんなに愛される作品にしたい」と言っていたが、一体どんな作品に仕上がっているのだろうか?大きな期待を抱いて映画館に足を踏み入れた私は、そして… 何も得られずに映画館を後にした。
「新海誠はどこに行ったんだ?」というのが、当時の私の率直な感想だった。
客観的に見て、「君の名は。」は決して駄作ではない。起伏に富んだストーリー展開、素晴らしい映像、スムーズな物語のテンポ、誰もが口ずさむ主題歌…どれをとっても素晴らしい。しかし、私は観終わった後、何も残らなかった。「秒速5センチメートル」のような、息苦しいほどの感情移入も、「言の葉の庭」のような、静かな情熱も、この作品には感じられなかった。かつての新海誠監督の面影は、どこにもなかった。もしかしたら、「君の名は。」にも、新海監督らしい美しい美術や、電車、踏切、すれ違いといった要素は健在だと言う人もいるかもしれない。しかし、私は、それらはあくまでも表現手法の一つに過ぎず、作り手のすべてを表すものではないと思っている。45度のアングルがあるからといって、それが必ずしも新房昭之監督の作品だとは言えないのと同じだ。
誤解のないように言っておきたいのだが、私は大衆向けの商業作品を嫌っているわけではない。むしろ、「君の名は。」のような作品が、新しいファンをアニメの世界に呼び込んでくれなければ、この業界は宮崎駿監督の言う通り、いずれ終わってしまうだろう。しかし、一人のファンとして、自分が好きな作り手が、突然大きく路線変更し、もう二度と以前のような作品を作らなくなってしまうかもしれないというのは…本当に悲しいことだ。
「夜は短し歩けよ乙女」、「夜明け告げるルーのうた」、「きみと、波にのれたら」
「鬼才」とは、一部のメディアが湯浅政明監督にしばしばつける称号だが、近年のアニメ映画3作品、「夜は短し歩けよ乙女」、「夜明け告げるルーのうた」、「きみと、波にのれたら」には、「鬼才」と呼ぶにはあまりにも軽快で、活発で、洒脱な雰囲気が漂っている。湯浅政明監督の特徴は、非常に個性的で、力強い作画、大胆なデフォルメ、アメリカンコミックのような彩色や演出など、枚挙にいとまがない。こうした非主流の作風のため、彼の作品は一部のアニメファンからは神格化されているものの、一般大衆にはなかなか受け入れられにくい。
新海誠監督の影響を受けたのか、それとも出資者からの要望なのか、これまでのテレビアニメに比べて、この3本のアニメ映画は、やや主流に歩み寄った作品になっているように思える。「夜は短し歩けよ乙女」では、主人公の声優に星野源を起用し(セリフは少ないが)、「夜明け告げるルーのうた」では、脚本に山田尚子を迎え、「きみと、波にのれたら」では、脚本に吉田玲子を、主人公の声優には歌手2人を起用している。特に、最近の「きみと、波にのれたら」は、古くからの湯浅政明監督ファンからは、かつての持ち味が失われていると不評を買っているようだ。確かに、以前のような奔放で自由奔放な作風と比べると、「きみと、波にのれたら」は、比較的オーソドックスで、落ち着いた作品になっている。監督自身も、「分かりやすく作った部分もある」「老若男女問わず楽しめる作品」と語っている。しかし、私は、これはあくまでも一つの試みに過ぎず、たまにはこういう作品も悪くないと思っている。湯浅政明監督という看板は、やはり信頼できる。
(あれ?なんで新海誠監督は路線変更したらショックなのに、湯浅政明監督は大丈夫なんだって?それは私が「秒速5センチメートル」の信者だからさ:P)
「聲の形」、「リズと青い鳥」
「監督:山田尚子、脚本:吉田玲子、制作:京都アニメーション」という組み合わせは、近年最も安定感のある布陣と言えるだろう。初期の「けいおん!映画版」、「たまこラブストーリー」から、近年の「聲の形」、「リズと青い鳥」に至るまで、山田尚子監督は、繊細な人物描写と、きめ細やかな感情描写という、独自の作風を確立してきた。
最近のアニメ作品では、キャラクターが記号化、類型化してしまう傾向が見られます。例えば、あるキャラクターは登場して数分で「ツンデレ」「天然」「腹黒」といったレッテルを貼られ、その後もストーリー全体を通してほぼその通りの言動を繰り返すため、セリフや反応も容易に予想できてしまうことがあります。これは、近年のアニメ業界がファストエンターテイメント化していることの影響の一方で、視聴者層の低年齢化に伴う合理的な手法とも言えます。
しかし、山田尚子監督は近年の作品において、細かな仕草や表情の変化など、ディテールにこだわった描写に多くの時間を割いています。そして、そうした繊細な感情表現の積み重ねによってキャラクターの像を浮かび上がらせ、ステレオタイプな記号の集合体ではない、より立体的な人物造形を実現しているのです。
この手法は、「リズと青い鳥」において極限まで突き詰められています。一見何気ない動作や会話の中に、キャラクターの心情が静かに滲み出ており、いつの間にか観る人の心に染み渡っていくのです。
しかし、京都アニメーションは放火事件によって多くの優秀な人材を失ってしまいました。今後、この黄金コンビと京アニが再びタッグを組んで劇場作品を生み出すことができるのか、不安は尽きません。
「さよならの朝に約束の花をかざろう」
岡田麿里(以下、岡媽)はこれまで主に脚本家として活躍しており、「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」や「心が叫びたがってるんだ。」といった人気作品を、長井龍雪監督とタッグを組んで世に送り出してきました。「さよならの朝に約束の花をかざろう」は、彼女にとって初の劇場アニメ監督作品となります。
岡媽の脚本については、以前から賛否両論あることが話題に上っていました。「あの花」「ここさけ」のような名作を生み出す一方で、「迷家-マヨイガ-」のような評価の分かれる作品も手がけています。アニメ業界には様々な事情があるでしょうし、作品制作時には様々な状況が考えられます。しかし、私は作品が最終的に成功するか否かは、名義上の責任者である監督の手腕によるところが大きいと考えています。そのため、ここでは岡媽の脚本家時代の功績については議論せず、監督作品にのみ焦点を当てていきたいと思います。
同じ女性監督として、岡媽の手法は山田尚子監督とは対照的と言えるでしょう。山田監督が繊細で間接的な感情表現を得意とするのに対し、岡媽は視聴者の心に直接訴えかけるような、強烈で鮮烈な演出を得意としています。「さよならの朝に約束の花をかざろう」では、ストーリー展開や映像表現など、あらゆる場面において意図的な演出が見て取れます。観客の涙を誘うために計算された演出であることは明白なのですが、不思議なことに、岡媽が仕掛けてくる「お涙ちょうだい」の罠だと分かっていても、まんまと心を揺さぶられてしまう自分がいます。
監督作品はまだ1本のみですが、その才能は疑いようがありません。ストーリー展開、映像美、カメラワークなど、どれをとっても一級品であり、個人的には長井龍雪監督とタッグを組んだ「心が叫びたがってるんだ。」よりも完成度が高いと感じています。今後の監督作品にも期待が高まります。
「若おかみは小学生!」
この作品は本当に不思議な出会いでした。ある日、映画館の前を通りかかった時に、小さなポスターを見かけました。特に心惹かれるものがあったわけでもないのですが、なぜかふらりと劇場に足を運んでしまったのです。制作会社がマッドハウスだと知って、「もしかして、意外にもアクション映画だったりして?」と期待したのですが、本編で最も激しいアクションシーンは、子供が屋根から落ちてくるシーンくらいでした。さすがマッドハウス、作画は滑らかでしたね(笑)。子供向けアニメではありますが、必要な要素は全て詰まっており、雰囲気もテンポも良くまとまっていました。心温まる良作です。
「未来のミライ」
細田守監督は、現代を代表するアニメ監督の一人ですが、私はなかなか彼の作品を見る機会がありませんでした。唯一見たことがあるのが、この「未来のミライ」なのですが…正直なところ、あまり印象に残っていません。劇場で子供が電車のシーンに驚いて泣いていたこと以外、特に記憶にありません。なぜこの作品がアカデミー賞にノミネートされたのか、私には理解できません。もしかしたら、細田監督と宮崎駿監督との確執が関係しているのでしょうか?
「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」
「物語」シリーズから始まり、私は新房昭之監督の独特な世界観と相性が良いようで、「魔法少女まどか☆マギカ」や「3月のライオン」といった人気作はもちろん、「電波女と青春男」や「ささみさん@がんばらない」といった通好みの作品まで、どれも楽しく視聴してきました。しかし、この「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」だけは、なぜか全くしっくりきませんでした…。総監督と監督の実際の役割分担がどのようなものなのか、私には分かりません。ただ、この作品は本当に奇妙で、個々の要素だけを見れば悪くないのに、全体を通して見るとどこかちぐはぐな印象を受けます。シャフトらしい演出が、この作品にはそぐわなかったのかもしれません。音楽は神前暁、主題歌は米津玄師という豪華な布陣だったことが、せめてもの救いでした。
「あした世界が終わるとしても」
3DCG技術は近年ますます進化しており、コスト削減やアクションシーンの制作が容易になるといったメリットがあるため、多くのテレビアニメでキャラクターの3DCG化が進んでいます。最近の例では、水島努監督の「荒野のコトブキ飛行隊」が成功例として挙げられるでしょう。しかし、劇場アニメにおいては、キャラクターに3DCGモデルを採用するケースはまだ少なく、主にエフェクトや背景の制作に用いられています。「君の膵臓をたべたい」は、その点で非常に大胆な試みを行っています。キャラクターを全て3DCGモデルで表現しているのです。その効果のほどは?私は非常に素晴らしいと感じました。
ストーリー展開はまあまあかな。でもアクションシーンと光の使い方がめっちゃ綺麗で、ありきたり(てか、ちょっと子供っぽい?)なストーリーを帳消しにしてる感じ。メインキャラの3Dモデリングが神レベルで、スクショ撮れば全部壁紙にできるw ただ、監督の櫻木優平は、たぶん初監督で経験不足なのと、3D出身だからかな、監督の一番大事な「ストーリーテリング」がちょっと物足りない。でも、これは成功体験だと思う。アニメ業界は慢性的な人手不足で、3D技術はまさに救世主。「 さよあす 」は、「劇場版レベルの予算と人材を投入すれば、3Dでもすごい作品ができる」ってことを証明したと思う。
最初に言ったように、ここ数年のアニメ映画って、TVシリーズの劇場版だけじゃなくて、オリジナルや漫画原作の良作も増えてる。「君の名は。」の大ヒット以降、一般層にも注目されるようになって、宣伝でも「君の名は。」の○○(役職)が参加!」とか「新海誠監督も感動!」みたいな謳い文句をよく見かけるようになった。でも、新海誠や「君の名は。」の制作陣以外にも、いろんなタイプの作品を作るすごいクリエイターはたくさんいる。もし気に入ったら、名前を覚えて、惜しみない拍手を送ってあげてほしい。